読書近況
お久しぶりです。
また読書完了ツイートが止まってしまい、なんだかものすごく申し訳ない気分です
結局「美少年シリーズ」としてこれからかなり刊行されるわけですが、西尾作品の中では読みやすい部類ですし、これはこれでおすすめしたいシリーズでありました。次作も『ぺてん師』も読む予定です。実際既に手元にあるので、読もうと思えば読めます。が、まだ先になりそうな予感ですね……
— 北九州市立大学文芸研究会 (@bungeiken8105) 2016, 1月 16
というわけで、二冊に渡り感想ツイートを一気に放出。現在読んでいるのは清涼院流水のJDCシリーズのトリビュート作品である、西尾維新の『ダブルダウン勘繰郎/トリプルプレイ助悪郎』です。もともとはノベルスでそれぞれ刊行されていたものですが、文庫版ではそれらに作品が一緒に収録されています
— 北九州市立大学文芸研究会 (@bungeiken8105) 2016, 1月 16
そんなわけで、もう少し読了までに時間がかかりそうですのでお待ち下さい。因みに読もうと思っている作品は結構あって、同じくJDCトリビュート作品である、舞城王太郎『九十九十九』。これは次に読みます。そのあとに美少年シリーズやら時計塔の第二幕やら森博嗣のWシリーズやら
— 北九州市立大学文芸研究会 (@bungeiken8105) 2016, 1月 16
さて、以上のツイートを引っ張り出してきましたが、実を言うと既に西尾維新のJDCトリビュートと『ぺてん師と空気男と美少年』、更に舞城王太郎『九十九十九』まで読了しております。
感想ツイートはまた後ほど。
最近、やたらと本を読むようになりました。
「今までの読書量は何だったんだ」というお声もあることでしょう。でも、以前と比べると、かなり本を読む時間が増えました。増えた矢先に600頁ぐらいある『九十九十九』は約九日間ほどで読了。心に読書のみを趣味としている方にとっては、これでもかなり遅い部類に入ることでしょう。いや、「趣味:読書」に読むスピードはそんなにかかわらないと思いますけどね。……いや、関わるのか?読むスピードが速ければ、それだけ多くの本を読めるのは自明ですが。
読書時間が増えた。ってのが近況報告ですね。
私は実家住まいなので電車通学が基本ですが、その通学途中日本を読むようになりました。それこそ高校の時まで私は携帯を持っていない稀有な人間だったので、「何もすることがない→じゃあ本を読むか」ってな感じで本を読んでいました。
私の中では、「頻繁に読書をする」ある一定の周期があるようです。
第1期は小6から中学にかけて。
その頃、福山雅治主演のドラマ「ガリレオ」をやっていました。第1話の人が燃えるシーンがやけに印象に残っていて、それをどう解明するのか、ってのがかなり気になって、結果、滅茶苦茶楽しんでドラマを見ていたわけですが、そのドラマに原作があることを知り、東野圭吾のガリレオシリーズに手を出したのがそもそもの始まり。当時、ガリレオシリーズ自体は「容疑者Xの献身」までしか出てなかったのでそこまで読み終わり、同じく文春文庫から出ている東野圭吾作品を読みました。「秘密」とか「レイクサイド」とか。「手紙」は未読です。
で、中学に入って、何故か赤川次郎の三毛猫ホームズとか宮部みゆきの「火車」とか「魔術はささやく」とか読んでました。その頃、周りの友人達はライトノベルを読んでて、ハルヒシリーズとかひぐらしシリーズとか読んでた印象。読書の趣味がもうその時点で違ってたんですよね。「天空の蜂」とかもその頃に読みました。
アニメを見だした頃に桜庭一樹のGOSICKシリーズをアニメから入る形で読み、丁度その辺りに中学を卒業しました。高校にてGOSICKシリーズをとりあえず全部読み終わったわけですが、どういうわけかそこからパタリと読書の習慣が消滅。いや、まあチマチマと読んではいたんですが、勢いは激減しましたね。多分、アニメをかなり見始めたからだと思います。
それから一年ぐらいして、ようやく図書室で本を借り、第2期に突入するわけですが、それはまた別のお話として、明日かその辺りにでも話すことにします。
では、おやすみなさい。
まごうことなき
お久しぶりです。赤沙汰です。
最近めっきりTwitterでも呟けていないので、記事を書くことにしました。
Twitterにてあまり呟くことがなくなったのは、「なんとなくそうなった」というか、「なるべくしてそうなった」とでも言いますか。最近とても忙しいのです。色々と立て込んでおりまして、個人誌の編集もそうですし、様々な部誌に原稿を書いている事も重なり、そこに追い打ちをかけるかのごとく、レポート地獄がやったきました。とても悠長に呟くことを考えている場合ではありません……私の悪い癖というか、軽い気持ちで公式アカウントで呟くことってあまりないのですよね、普段の個人アカウントであれば、もっと多く呟いているのですが、公式アカウントですし、あまり私情を挟んで呟くのもどうかなぁ、なんて。とはいったって、実質今このブログだって、記事を書いているのは今のところ私一人なわけで、これまで書いてきたことも、思いっきり私情の上に成り立っていたりするんですよね。まあそもそも自身の日常を切り取ってお送りするのが文芸研のブログのコンセプトになりつつあるので、それは仕方ないといえば仕方ない……まさに「なるべくしてそうなった」とでも言ったほうがいいでしょう。
そういうわけで、本来文芸研公式アカウントの運営を担うとはいったって、特に何も呟くことがない……すると必然的にツイートは減り、ブログ更新のツイートと、大祭前の宣伝ツイートを始めとする、「かなり」業務的なツイートしかしなくなる上に、更新頻度も下がる……私が運営を任された当初、そういうことは避けたいなあ、些細な事を呟いていたりしたわけで、まあ結局その果てに読了の感想ツイートとかがあるわけなのです。
感想ツイートを使用しようと思いつつ、二冊ほど読み終わりました。告知していた通り、講談社タイガから刊行されている西尾維新『美少年探偵団 きみだけに光りかがやく暗黒星』を予定よりも早く読み終わったため、その次に綾崎隼『君と時計と嘘の塔』を読了、現在同じく西尾維新のJDCトリビュート作品『ダブルダウン勘繰郎/トリプルプレイ助悪郎』を読んでいる最中です。
感想ツイート、恐らくこの更新の後にやると思います。
さて。
それはさておき、当研究会では最近、色々と刊行冊子が控えていたりします。
ああ、これこそTwitterで呟くべき案件ですね。
ではそうするとしましょう。
ではでは。
おめでとう。おめでとう
お久しぶりです、赤沙汰です。
先の一週間の当ブログ、楽しんでいただけたでしょうか。
ツイートした通り、なんとなく2015年を無碍に過ごすのもなんだかなあと思い、残り5日というところでかいたわけです。
もちろんフィクションですよ。
ただ、いろんな所にいろんな形で物語を残しておきたいなあと思うのです。
ゆくゆくはあれも、今年刊行予定の私の個人誌にて掲載されます。
頁数を考えずに、無尽蔵に物語を書き続けているため、どうやら頁数が足りず、分冊の予定になっています。
思えば多く書いてきたものです。塵も積もれば、といった感じ。
このブログも、あと三ヶ月ちょいで正式に移行、そののちは、こちらのブログで、部員の方々の様々な日常を垣間見ることになるでしょう。
私も、Twitterにて、読書関係のツイートを増やしていきたいところです。
今年の抱負としては、なんとか長編を完成させたいのと、あとは文芸研としては、もうちょっと部誌の刊行頻度を上げていきたいなあと思っています。
まあそんなこんなで、私も広報・渉外担当として頑張っていきますので。
部誌の交換等、何かありましたら、お気軽に当Twitterアカウントまでどうぞ。
それでは今年もよろしくお願いします
最終日
さて。
そんなわけで、今日で本当に最後ですね。"最後"の木曜日。最後の日。これまで最後最後と言ってきましたが、あなた方読者には、まだ続きがあります。来年という続きがあるではありませんか。「最後」というのは、要するに私にとっての最後ですよ。
私は今日、多分このあと、姿を消します。
勘違いしないで欲しいのは、「死ぬ」という意味ではなく、です。それこそ私にとっては何もかも最後なので、死ぬのだと解釈するのも無理はありませんが、まあそんな解釈は勝手にやっててください。私は死にません。
あ、ただ、社会的、というか戸籍においての話をすると、私は死亡認定を受けるかもしれません。実際、私、未堂薫は、これより名前のみの存在となります。次の名前に移行し、私は新しい人生を装いつつ、いつものように人を殺します。
ただし、今度は趣味ではなく、仕事として。
今日、先ほどのお話になるのですが、実を言うと、やはり私は先ほどまで死のうとしてたのです。自殺。自分で自分を殺すんです。カトリックに限らず、自殺はキリスト教においては重罪です。地獄に落ちます。そりゃあそうもなります。人を殺すことですら狂気なのに、自分で自分を殺すなんて。どうせなら大晦日に死にたいなぁと思い、こうして場末のブログを乗っ取って書いてきたわけですが、この前の、最後の火曜日について書いたときのこと、覚えてますか?
確かあの時、数十の暴徒集団を殺しましたよね。あの時は、誰も見ていないだろうと、目撃者はゼロだろうと思っていました。
しかし、密かに観測者がいたようで、あの集団も、その差し金だったようです。曰く、「力を試した」んだとか。
そして雇われました。活動範囲は基本的に日本国内ですが、場合によっては国外に飛び出すかもしれない、とのことで。国外で誰を殺すのかを考えるとかなりワクワクします。
そういうわけで、今年の終わりを世界の終わりとしようとしていましたが、私自身はこれからも続きます。名を変えて。
報酬が私の納得のいく額であったこともありますが、自分自身を殺すのは、まだ早いなと考えるようになったのもまた事実です。だって、まだまだたくさんの人間を殺すことができるのです。こんなに嬉しいことはありません。七つの大罪でまだ言っていないことがありましたね、強欲です。avaritia。greed。最高です。これからも殺していきますので、よろしくお願いします。
あと15分ちょっとですね。最後の15分。世界終末時計も、この15分間ぐらいは、いつもの時間通りに進んで、つつがなく人類の歴史に幕を下ろしてほしいものです。
では、わたしはこれより「死に」ますね。
みなさん、良いお年を。
6日目
最期を看取れないまま、"最後"の水曜日が死にました。
もう、私もなんとなく、最期に近づいているからなのか、気力がありません。あれだけ死闘を繰り返していたこともあるのでしょう。とにかく今は眠りたい。実際先ほどまでずっと眠っていました。こうして記事を一週間書くことも忘れて。まさに怠惰。pigritia seu acediaにしてsloth。まあ、実際話す内容は、怠惰とは少々かけ離れているかもしれませんが。
私が数百人もの人を殺してきたのは、とある芸術が目的でした。
それは、人を「使って」芸術品を作ること。
低俗で俗悪な芸術だとお思いでしょう。ええ、それが正常です。その感覚は正しい。
パルテノン神殿みたいな白い神殿のような、古代建造物を、ぜひとも人骨で作りたいなあ、と。
それで殺してきたんです。柱の数は、ソロモン72柱にちなんで72本。72本の柱を、人の背骨を使おうと思いました。結局72人殺せばいいのですが、やっぱりみんな身長が違うわけでして、随分と背骨の柱の高さが合わず、結果的に数百人余りの人を殺す羽目に。それでも背骨を72本も固定させるのは至難の業で、結局かなりの規模縮小の末、柱は10本に……。なんていうか、人骨というのは不安定ですね。
私がこうして人を殺してきた動機について語ると、これはやはり人を信用できなかったことが一番の原因ではないかと思うのです。
人を信用するというのは、かなりコストがかかります。身体的にも精神的にもコストが凄い。私は結局、そのコストに耐えられなかったのです。「憤怒」の話でもいいました通り、私はかなり怒りっぽいのです。その性格が災いしているのですかね、現在進行形においても災いを引き起こしている気がしますが、なんというか、その怒りに対して、私の精神的コストの大半を払っている気がしています。
だから、私はそこから逃げ出して、人を殺した。
私より頭のいい人間が羨ましくて、許せなかった。だから殺した。記事を書いた時は嫉妬についてこれを書きましたが、嫉妬と憤怒が混ざっていたのかもしれません。
私の食事を無理矢理制限しようとしたから、その反動で、万引きもしたし、親も殺しました。今は人知れず旅行したことになっていますが、実際は土の中で眠っています。因みに初めて私の犠牲者となったあの優等生は、海の底に沈んだままです。もう藻屑とかしているかもしれませんがね。
私が脅してきた人間は、未だに私を恐れています。脅しに使った材料をもみ消しに現れた人間は殺しました。家族もろとも。
私が肉体を使って籠絡した人間は、以外にも生きていなかったり。私が直接手を下したわけではありませんが、少なくとも原因は私にあるだろうと自負しています。自負することではありませんけれど。
昨日殺した住民たちは、実際のところまだそのままです。そろそろ蛆が集り始めている頃でしょう、あの一帯はもう、瘴気の森と化すでしょう。もう私は知りません。実際のところ目撃者もいないようですし。どうにでもなれ、といった感じです。バレようがバレまいが、どちらにしても、私はもう……。
なんてことを思いつつ、今日はこの辺で。
いよいよ明日は最後の最後ですね。
皆さんはどのように過ごすのでしょうか。
ふふっ。
5日目
"最後"の火曜日に何もできなかったことがとても悔しい。
いつもの時間からは、延べ14時間近く遅れての更新となります。
言い訳というわけでもありませんが、今の今まで私は闘っていました。
私の殺人欲求を「十二分に満たしておいで」と神が告げんとばかりに、大量の暴徒が私の前に立ちはだかったのです。なんだか変なことを言っているようですけれどね。
本当なら、中学時代の「憤怒」を元にした話でもしようかと思っていました。iraであり、wrathのお話を。端的に言えば、あの時の私はとても怒りっぽかっただけのお話で、それによって色々なものを密かに破壊しまくっていただけの、なんとも子供っぽく幼稚さにあふれるお話でした。
今回はそのお話とは違う、今の今まで起こっていたことを書くわけですが、ああ、でも憤怒に変わりはありませんね。今思うと、中学の時とはそれほど変わりなく、私は怒りっぽかったようです。
私は住んでる家の土地関係から、いつも帰り道は一人になります。それも夜の暗い道で、電灯もまばら。
で、私が気配を感じて、近くの電灯の真下で立ち止まると、
なんだか集団のようなものが、ひとつ先の電灯の灯りに照らされて佇んでいました。
色々な人がいて、色々なものを持っていました。鉄パイプとか、鍬とか。田舎だからかもしれませんが、なんだかそれは一向一揆をする農民の亡霊じゃないかってくらいには滑稽でしたよ。笑っちゃいました。
で、私が笑うと同時に、この集団は襲い掛かってきました。
何人、いや何百人も殺してきた私が、そんな時代錯誤も甚だしいような集団に負けるとお思いでしょうか?
この前、殺し屋の友人の存在を明かしましたが、まあ彼からはいろんなことを教わりました。
こういう状況への対処法だって、もちろん。
そんなこんなで、その集団は数えるたるところおよそ23人。でもそれだけなら、ここまで時間はかかりません。
問題は、私が出くわした場所の近くに住宅街があったということ。
とてもじゃありませんが、バレます。
彼らも彼らで、奇声を発していましたし。何かに寄生されたんじゃないかってくらい。
というわけで、近くの森にまず逃げ込み、そこでジックリと。
まるでプレデターの気分でしたよ。
でも、それ以上に私には怒りの感情が強かった。
だって、"最後"なんです。
"最後"の火曜日だったんです。
私が彼らに出くわして森に逃げこみ彼らを誘い込んだその辺りに、"最後"の火曜日が死にました。こうして記事を書くことを、死にゆく火曜日に贈る最後の言葉だったのに。まあ確かに、金曜土曜と、そんなことは微塵も書きませんでしたが、火曜日は私にとってはとても馴染み深い曜日でした。
初めて人を殺したあの時は忘れもしない火曜日でした。
そう、それだけ。
たったそれだけなのですが、それだけに思い入れもかなり強かった。今となっては曜日関係なく色々とやってきましたが、それでも火曜日を過ごす時だけはなんだか違う気分になれるのでした。
そんな特別な火曜日。しかも"最後"の火曜日。もう二度と過ごすことはない火曜日。
どんだけ火曜日が好きなんだと思うでしょう。それほどまでに、私は火曜日を愛していたのです。比喩というわけでもなく本当に。
なので、これはいわば弔い合戦のようなものでして。
神聖な火曜日を汚したことに対する、私なりの罰です。
こうして"最後"の水曜日の真っ昼間に物騒なことを書いてきましたが、
どうかご容赦ください。
4日目
月曜日が先ほど臨終しました。強敵でした。"最後"とは言えども、やはり月曜日は月曜日です。グレゴリオ暦を使用して生活しており、なおかつ日曜日を休息の日とし、月曜日を仕事の日ないしは一週間の始まりだと捉えている人間にとっては、「ブルーマンデー症候群」というものがあることからしても、月曜日というものは憂鬱の曜日です。たとえそれが大晦日であろうと元日であろうと変わりはありません。
私も、中学高校、そして現在の大学に至るまで、月曜日は憂鬱でした。基本的に私が活発になるのは休息日である土曜と日曜のみであり、この二日間は、私が私でいられるまたとない機会の時間でもあるのです。
今まで食べてきた食パンの数よりも、私は人を殺していると思います。
そもそもパン食ですらありませんが。
ところで、あなたが初めて人を騙した時を思い出してみてください。どんな気持ちでしたか?
やはり優越でしたか?
それとも良心の呵責がむやみに働きましたか?
どちらでもいいのです。私がとやかく口を出せることではありませんし。
でも、少なくとも私は「最高に楽しかった」のです。
生命を生物から奪うという行為自体は、人間に限らず幼少の頃からやっていました。子供って、残酷ですよね。平気で自分よりも小さい生物の生殺与奪を操るどころか、握りつぶすわけですから。巨人が人間を食べるのも、そうした純粋な理由からだったりするのでしょうか?
高校において私は自分の地位を確立させるために人を殺し、そしてそれを保つために人を脅してきました。
そして、この前は言及しませんでしたが、騙してもいたわけです。
ここで概念的な話でもしましょうか。
あ、いや、やはりそれはやめておきます。脱線したら戻すのがとても難しい。
今度話すことにします。
そんなこんなで色欲です。luxuria。lustですね。
ただ、ぶっちゃけた話、こればかりは動機というよりも手段に近い。
色欲を使って人を翻弄し、騙してきたわけです。
ひとによっては、脅しつつ騙したりしていましたね。まさに飴と鞭!
でも、やっぱりその時は人を殺した後でしたので、人を騙した時の快感は、思ったほどには得られませんでした。
むしろ殺害欲求が強かった。人を殺す。将来そうなるかもしれないあなた方に忠告しておくと、あれは一種の麻薬です。
人の味を覚えた鮫のようなかんじです。人肉を食さないまでも、あれはかなり禁断症状も依存性も強いです。
連続殺人鬼が生まれるのも納得です。私の友人にも、それを生業とする人間がいますが、彼女いわく「セックスよりも気持ちいい」とのこと。
セックスの経験は意外にもありません。色欲で騙したとは言いましたが、そこまで至る前に、みんな満足してしまい、騙すことに成功してしまうのです。
セックスの意味範囲が人によって違うため、私がこれまでやってきたことも、見る人によっては立派なセックスとなるのでしょう。
そこはもう、自由です。私の知るところではありません。
"最後"と言えども、やはり火曜日はなんとなく居心地が良いですね。
ただ「過ごす」ということこそが、月曜日に対する最大かつ唯一の攻撃手段なわけですが、どうもその攻撃をする最中に、月曜日の攻撃によって体を毒され操られ、遂には身を投げてしまうようです。
身を投げる。すなわち自殺するということなのですが、死ぬのなら、もう少し有意義に死にたいものですね。