北九州市立大学文芸研究会のブログ

北九州市立大学文芸研究会の「新」ブログです。移行したのです。旧ブログはこちら→ http://blogs.yahoo.co.jp/bungeiken8105

最終日

 

 さて。

 そんなわけで、今日で本当に最後ですね。"最後"の木曜日。最後の日。これまで最後最後と言ってきましたが、あなた方読者には、まだ続きがあります。来年という続きがあるではありませんか。「最後」というのは、要するに私にとっての最後ですよ。

 

 私は今日、多分このあと、姿を消します。

 

 勘違いしないで欲しいのは、「死ぬ」という意味ではなく、です。それこそ私にとっては何もかも最後なので、死ぬのだと解釈するのも無理はありませんが、まあそんな解釈は勝手にやっててください。私は死にません。
 あ、ただ、社会的、というか戸籍においての話をすると、私は死亡認定を受けるかもしれません。実際、私、未堂薫は、これより名前のみの存在となります。次の名前に移行し、私は新しい人生を装いつつ、いつものように人を殺します。
 ただし、今度は趣味ではなく、仕事として。

 


 今日、先ほどのお話になるのですが、実を言うと、やはり私は先ほどまで死のうとしてたのです。自殺。自分で自分を殺すんです。カトリックに限らず、自殺はキリスト教においては重罪です。地獄に落ちます。そりゃあそうもなります。人を殺すことですら狂気なのに、自分で自分を殺すなんて。どうせなら大晦日に死にたいなぁと思い、こうして場末のブログを乗っ取って書いてきたわけですが、この前の、最後の火曜日について書いたときのこと、覚えてますか?
 確かあの時、数十の暴徒集団を殺しましたよね。あの時は、誰も見ていないだろうと、目撃者はゼロだろうと思っていました。
 しかし、密かに観測者がいたようで、あの集団も、その差し金だったようです。曰く、「力を試した」んだとか。
 そして雇われました。活動範囲は基本的に日本国内ですが、場合によっては国外に飛び出すかもしれない、とのことで。国外で誰を殺すのかを考えるとかなりワクワクします。

 


 そういうわけで、今年の終わりを世界の終わりとしようとしていましたが、私自身はこれからも続きます。名を変えて。
 


 報酬が私の納得のいく額であったこともありますが、自分自身を殺すのは、まだ早いなと考えるようになったのもまた事実です。だって、まだまだたくさんの人間を殺すことができるのです。こんなに嬉しいことはありません。七つの大罪でまだ言っていないことがありましたね、強欲です。avaritia。greed。最高です。これからも殺していきますので、よろしくお願いします。

 

 

 あと15分ちょっとですね。最後の15分。世界終末時計も、この15分間ぐらいは、いつもの時間通りに進んで、つつがなく人類の歴史に幕を下ろしてほしいものです。

 

 

 では、わたしはこれより「死に」ますね。

 

 

 みなさん、良いお年を。

 

6日目

 最期を看取れないまま、"最後"の水曜日が死にました。

 もう、私もなんとなく、最期に近づいているからなのか、気力がありません。あれだけ死闘を繰り返していたこともあるのでしょう。とにかく今は眠りたい。実際先ほどまでずっと眠っていました。こうして記事を一週間書くことも忘れて。まさに怠惰。pigritia seu acediaにしてsloth。まあ、実際話す内容は、怠惰とは少々かけ離れているかもしれませんが。

 

 私が数百人もの人を殺してきたのは、とある芸術が目的でした。

 それは、人を「使って」芸術品を作ること。

 低俗で俗悪な芸術だとお思いでしょう。ええ、それが正常です。その感覚は正しい。

 パルテノン神殿みたいな白い神殿のような、古代建造物を、ぜひとも人骨で作りたいなあ、と。

 それで殺してきたんです。柱の数は、ソロモン72柱にちなんで72本。72本の柱を、人の背骨を使おうと思いました。結局72人殺せばいいのですが、やっぱりみんな身長が違うわけでして、随分と背骨の柱の高さが合わず、結果的に数百人余りの人を殺す羽目に。それでも背骨を72本も固定させるのは至難の業で、結局かなりの規模縮小の末、柱は10本に……。なんていうか、人骨というのは不安定ですね。

 

 私がこうして人を殺してきた動機について語ると、これはやはり人を信用できなかったことが一番の原因ではないかと思うのです。

 人を信用するというのは、かなりコストがかかります。身体的にも精神的にもコストが凄い。私は結局、そのコストに耐えられなかったのです。「憤怒」の話でもいいました通り、私はかなり怒りっぽいのです。その性格が災いしているのですかね、現在進行形においても災いを引き起こしている気がしますが、なんというか、その怒りに対して、私の精神的コストの大半を払っている気がしています。

 だから、私はそこから逃げ出して、人を殺した。

 私より頭のいい人間が羨ましくて、許せなかった。だから殺した。記事を書いた時は嫉妬についてこれを書きましたが、嫉妬と憤怒が混ざっていたのかもしれません。

 私の食事を無理矢理制限しようとしたから、その反動で、万引きもしたし、親も殺しました。今は人知れず旅行したことになっていますが、実際は土の中で眠っています。因みに初めて私の犠牲者となったあの優等生は、海の底に沈んだままです。もう藻屑とかしているかもしれませんがね。

 私が脅してきた人間は、未だに私を恐れています。脅しに使った材料をもみ消しに現れた人間は殺しました。家族もろとも。

 私が肉体を使って籠絡した人間は、以外にも生きていなかったり。私が直接手を下したわけではありませんが、少なくとも原因は私にあるだろうと自負しています。自負することではありませんけれど。

 昨日殺した住民たちは、実際のところまだそのままです。そろそろ蛆が集り始めている頃でしょう、あの一帯はもう、瘴気の森と化すでしょう。もう私は知りません。実際のところ目撃者もいないようですし。どうにでもなれ、といった感じです。バレようがバレまいが、どちらにしても、私はもう……。

 

 なんてことを思いつつ、今日はこの辺で。

 

 いよいよ明日は最後の最後ですね。

 

 皆さんはどのように過ごすのでしょうか。

 

 

 ふふっ。

 

 

 

 

 

 

5日目

 "最後"の火曜日に何もできなかったことがとても悔しい。

 

 いつもの時間からは、延べ14時間近く遅れての更新となります。

 

 

 言い訳というわけでもありませんが、今の今まで私は闘っていました。

 

 私の殺人欲求を「十二分に満たしておいで」と神が告げんとばかりに、大量の暴徒が私の前に立ちはだかったのです。なんだか変なことを言っているようですけれどね。

 

 本当なら、中学時代の「憤怒」を元にした話でもしようかと思っていました。iraであり、wrathのお話を。端的に言えば、あの時の私はとても怒りっぽかっただけのお話で、それによって色々なものを密かに破壊しまくっていただけの、なんとも子供っぽく幼稚さにあふれるお話でした。

 今回はそのお話とは違う、今の今まで起こっていたことを書くわけですが、ああ、でも憤怒に変わりはありませんね。今思うと、中学の時とはそれほど変わりなく、私は怒りっぽかったようです。

 

 私は住んでる家の土地関係から、いつも帰り道は一人になります。それも夜の暗い道で、電灯もまばら。

 で、私が気配を感じて、近くの電灯の真下で立ち止まると、

 なんだか集団のようなものが、ひとつ先の電灯の灯りに照らされて佇んでいました。

 色々な人がいて、色々なものを持っていました。鉄パイプとか、鍬とか。田舎だからかもしれませんが、なんだかそれは一向一揆をする農民の亡霊じゃないかってくらいには滑稽でしたよ。笑っちゃいました。

 

 で、私が笑うと同時に、この集団は襲い掛かってきました。

 

 何人、いや何百人も殺してきた私が、そんな時代錯誤も甚だしいような集団に負けるとお思いでしょうか?

 

 この前、殺し屋の友人の存在を明かしましたが、まあ彼からはいろんなことを教わりました。

 こういう状況への対処法だって、もちろん。

 

 そんなこんなで、その集団は数えるたるところおよそ23人。でもそれだけなら、ここまで時間はかかりません。

 

 問題は、私が出くわした場所の近くに住宅街があったということ。

 

 とてもじゃありませんが、バレます。

 

 彼らも彼らで、奇声を発していましたし。何かに寄生されたんじゃないかってくらい。

 というわけで、近くの森にまず逃げ込み、そこでジックリと。

 まるでプレデターの気分でしたよ。

 

 でも、それ以上に私には怒りの感情が強かった。

 だって、"最後"なんです。

 

 "最後"の火曜日だったんです。

 

 私が彼らに出くわして森に逃げこみ彼らを誘い込んだその辺りに、"最後"の火曜日が死にました。こうして記事を書くことを、死にゆく火曜日に贈る最後の言葉だったのに。まあ確かに、金曜土曜と、そんなことは微塵も書きませんでしたが、火曜日は私にとってはとても馴染み深い曜日でした。

 初めて人を殺したあの時は忘れもしない火曜日でした。

 そう、それだけ。

 たったそれだけなのですが、それだけに思い入れもかなり強かった。今となっては曜日関係なく色々とやってきましたが、それでも火曜日を過ごす時だけはなんだか違う気分になれるのでした。

 そんな特別な火曜日。しかも"最後"の火曜日。もう二度と過ごすことはない火曜日。

 どんだけ火曜日が好きなんだと思うでしょう。それほどまでに、私は火曜日を愛していたのです。比喩というわけでもなく本当に。

 

 なので、これはいわば弔い合戦のようなものでして。

 

 神聖な火曜日を汚したことに対する、私なりの罰です。

 

 こうして"最後"の水曜日の真っ昼間に物騒なことを書いてきましたが、

 

 どうかご容赦ください。

4日目

 月曜日が先ほど臨終しました。強敵でした。"最後"とは言えども、やはり月曜日は月曜日です。グレゴリオ暦を使用して生活しており、なおかつ日曜日を休息の日とし、月曜日を仕事の日ないしは一週間の始まりだと捉えている人間にとっては、「ブルーマンデー症候群」というものがあることからしても、月曜日というものは憂鬱の曜日です。たとえそれが大晦日であろうと元日であろうと変わりはありません。

 私も、中学高校、そして現在の大学に至るまで、月曜日は憂鬱でした。基本的に私が活発になるのは休息日である土曜と日曜のみであり、この二日間は、私が私でいられるまたとない機会の時間でもあるのです。

 今まで食べてきた食パンの数よりも、私は人を殺していると思います。

 そもそもパン食ですらありませんが。

 

 ところで、あなたが初めて人を騙した時を思い出してみてください。どんな気持ちでしたか?

 やはり優越でしたか?

 それとも良心の呵責がむやみに働きましたか?

 

 どちらでもいいのです。私がとやかく口を出せることではありませんし。

 

 でも、少なくとも私は「最高に楽しかった」のです。

 

 生命を生物から奪うという行為自体は、人間に限らず幼少の頃からやっていました。子供って、残酷ですよね。平気で自分よりも小さい生物の生殺与奪を操るどころか、握りつぶすわけですから。巨人が人間を食べるのも、そうした純粋な理由からだったりするのでしょうか?

 

 高校において私は自分の地位を確立させるために人を殺し、そしてそれを保つために人を脅してきました。

 そして、この前は言及しませんでしたが、騙してもいたわけです。

 

 ここで概念的な話でもしましょうか。

 

 あ、いや、やはりそれはやめておきます。脱線したら戻すのがとても難しい。

 今度話すことにします。

 

 

 そんなこんなで色欲です。luxuria。lustですね。

 ただ、ぶっちゃけた話、こればかりは動機というよりも手段に近い。

 

 色欲を使って人を翻弄し、騙してきたわけです。

 

 ひとによっては、脅しつつ騙したりしていましたね。まさに飴と鞭!

 

 でも、やっぱりその時は人を殺した後でしたので、人を騙した時の快感は、思ったほどには得られませんでした。

 むしろ殺害欲求が強かった。人を殺す。将来そうなるかもしれないあなた方に忠告しておくと、あれは一種の麻薬です。

 

 人の味を覚えた鮫のようなかんじです。人肉を食さないまでも、あれはかなり禁断症状も依存性も強いです。

 

 連続殺人鬼が生まれるのも納得です。私の友人にも、それを生業とする人間がいますが、彼女いわく「セックスよりも気持ちいい」とのこと。

 

 セックスの経験は意外にもありません。色欲で騙したとは言いましたが、そこまで至る前に、みんな満足してしまい、騙すことに成功してしまうのです。

 セックスの意味範囲が人によって違うため、私がこれまでやってきたことも、見る人によっては立派なセックスとなるのでしょう。

 

 

 そこはもう、自由です。私の知るところではありません。

 

 "最後"と言えども、やはり火曜日はなんとなく居心地が良いですね。

 ただ「過ごす」ということこそが、月曜日に対する最大かつ唯一の攻撃手段なわけですが、どうもその攻撃をする最中に、月曜日の攻撃によって体を毒され操られ、遂には身を投げてしまうようです。

 

 身を投げる。すなわち自殺するということなのですが、死ぬのなら、もう少し有意義に死にたいものですね。

 

 

 

三日目

 "最後"の日曜日があと二十分近くで終わりを迎えようとしています。できれば終わる前に書き終わりたいものですが、果たしてどうなるやら。

 

 今回は先に動機となった大罪を言いますね。

 

 暴食です。

 

 ラテン語ならgula。英語ならgluttonyとなります。個人的には、七つの大罪の中ではこれが一番わかりやすいような気がします。なにせ暴食なわけですから。現代風に言えば、「過食症」とかでしょうか。あれはでも、食べるだけ食べて、あとで吐き出しますからね。

 

 まあ、初めて人を殺めたのは確かに高校時代でしたが、この前挙げた四つの罪のなかでは、実際あれは最後の罪だったりします。

 要するに、奪うことも騙すことも脅すことも、すべて人を殺すよりも前にやっていたわけです。ごくごく日常的に。

 まあ今となってはその三つを遥かに凌駕するレベルで人を殺してきたわけですが……それはまた今度話します。

 

 遡って中学時代です。私は人よりも数倍近い量を食べる人間でした。大食い競争とか、ダントツでした。大食い競争、テレビで時折やりますよね、何日か前にもやってた気がします。

 まあ、とにかく物を食べたくて食べたくてしょうがなかったんです。三大欲求の一つである食欲だけが、他の二つの欲とは大きくかけ離れて強かった。二十四時間、まあ寝てる時は流石に除きますが、常時物を食べていたい気分でした。もちろん、周囲は僕のそういった態度を危険視していて、私は何度か病院にも行きました。「過食症」だと一応は診断されたものの、どう改善したものかと、皆困り果てていました(診断によると胃の働きが異常に強かったらしいです。だから吐かなかったのでしょう)。嘔吐をしない過食症というのもあるにはあるらしいのですが、その場合はカロリー過多で肥満症になるそうです。私の場合これまた異常なことに、体型が何一つ変わらなかった。太りも痩せもしない、常に平均値の体重体型を維持し続けていました。維持したままで、人よりも数倍近い食べ物を、これまで消費してきたのです。

 

 まあやっぱり親をはじめ、周囲は私に「ものをたべること」をやめるよう、促すわけです。あまりに食べ過ぎるので、一定量以上は何が何でも食べ物を与えない、といった生活が数ヶ月続きました。とても耐えられたものじゃない。

 

 そういうわけで、私はスーパーに出向いて万引きを。

 

「奪う」と言うよりは、ある意味「盗む」と言ったほうが近いかもしれません。

 まあ、咎める人間を片っ端から脅し、結果として「奪った」わけですし、間違ってもいませんね。

 

 そんなこんなで、中学時代、ずっと私は食べ続けていました。

 

 いつの間にか食べる量も減って、今となっては常人よりも比較的少なめの量で落ち着いています。

 なんだか幸福です。暴飲暴食牛飲馬食。そんな私は、今考えて見れば割と不幸だったかもしれません。食べても食べても満足感を得られなかったわけですしね。

 

 そんなわけで「暴食」のお話は終わりです。

 

 

 あと3分で、"最後"の日曜日が終わります。

 

 間に合ってよかった。

二日目

 本当は午前0時を越す前にこれを書きたかったのですが仕方がない。最後の土曜日も先ほど儚く終了しました。

 

 あの時は「七種類の罪にカテゴライズ」とか言ってましたっけ。実際は四つでしたね。もう言いませんが、七種類というのは、よくよく考えてみれば「動機」の方でした。本当にごめんなさい。多大なる誤解を与えてしまいました。

 

 

 さて、私は初めて、高校時代にて人を殺したわけですが、人というのは恐ろしいものですよね。もう十分実感した方もいらっしゃるかと思います。このブログを読んでいるあなただって、一度はそのことを体感したでしょう。したはずです。しないはずがありません。

 だって、私があなたにそのように施したわけですからね。

 人間の恐ろしさを露程も知らなかった純粋無垢それそのもの"だった"あなたは、今ではどんな醜い姿になっていることか。人はおろか自分自身すらも信じることができなくなってしまったあなたが、私が綴る最後のブログに目を通している。なんとも滑稽なお話ではありませんか。ねえ、そうでしょう、魏条くん?

 

 まあ、他人を虐めるのがこの記事の目的ではないので、こんなことは早々に置いておくとして。

 

 次はその一年後ですね。やはり受験シーズンまっただ中。二年前位の今頃、私にはスマホもパソコンもなくて、ただただ本を読むだけの生活でした。もちろん受験勉強もしていましたよ。ただ、皆は量が多すぎたんですね。無駄が多かったのです。

 一位亡き後の一位。それはもう心地が良かった。

 このまま転落すれば、まさに死ぬだろうとも思いました。

 下手な比喩表現はさておき、私はあの時、驕り高ぶっていたのは確かです。まさに「傲慢」。superbia。prideです。

 成績優秀な優等生というこの表現、いささか一日目の記事と矛盾するのではないかという指摘がそろそろ来る頃でしょう。「特段頭がずば抜けていたわけでも、運動神経が優れているというわけでもありません」。まあ、我ながら変なことを言ったものです。殺人を犯している時点で常人とはかけ離れているというのに、普通の人をアピールするのは大変でした。そりゃ成績も落ちたりします。でも順位は変わりませんでした。表面的な成績もまた同じく。

 

 まあ、ここまで語れば、流石に察しの良い方々はおわかりかと思います。

 

 脅していたわけです。

 

 まあ、脅すことが出来る人間は片っ端から。

 怯えながらに「鬼」だとか「悪魔」だとか苦し紛れに私に言ってきたりするわけですよ。なんて語彙力のない暴言だこと。

 確かに「悪魔」は的を射ているかもしれませんね。私の中には本当に悪魔が棲んでいるのですから。

 

 脅す材料というのは、基本的に困らないものなんですよ、脅す側にとっては。

 ターゲットとなる人物には、探せばいくらでも「隠しておきたいもの・こと」が出てきますから。

 私のハッキングもといクラッキング技術も、そのあたりには一役買っています。

 

 勘違いしないでいてもらいたいことが一つあるのですが、

 私はナイフだとかの凶器で脅したわけではないということです。

 

 わたしにとってそういうものって、基本的に脅すためでの道具ではないのです。

 

 殺すための道具なのです。

 

 

 そういうわけで、最後の日曜日の深夜中に、最後の土曜日に書いておこうと思った内容を書きますね。

 

 なんて背徳的なんでしょう。

 

一日目

 私は罪を犯してきました。それはもう、数えきれないくらいには。数えきれないくらいの罪を犯してきながらも、それらの罪を自分なりにカテゴライズしてみれば、不思議な事に七つの種類に分けられるのです。

 カテゴライズするにあたって、様々な要素を考慮に入れました。犯罪の形式に始まり、動機、被害を与えた程度等、さまざまなものを。

 

 ある意味、「終わり」へと向かっているのです。

 

 綺麗な終わりを迎えるにあたって、私はこれから罪の告白をしていきます。

 

 どんな罪かと言われると、少々回答に困りますね。カテゴライズしても七種類しか罪を犯していないのですから、大罪人と呼ばれるには値しないでしょう。

 さらに言えば、特段頭がずば抜けているわけでも、運動神経が優れているというわけでもありません。交友関係も乏しいです。

 強いて言えば、このブログを乗っ取って、記事を書いているぐらいでしょうか。いささか、そういった技術には長けていると自負しています。

 

 単純な話、私の中には悪魔が潜んでいます。

 

 今まで犯してきた罪の、全ての原因が悪魔にあったと、全ての元凶が私の中の悪魔であったと、私はそう言いたいわけです。

 非科学的な事象は、今となってはほぼ見向きもされませんが、私のような事例がれっきとして"存在している"ことぐらいは、知ってほしいのです。別に覚えてもらうまではありませんよ。ただ、信じて欲しいだけです。

 

 さて、七種類の罪といえば、やはり連想されるのはキリストのカトリックにおける「七つの大罪」でしょうか。七つ、言えますか? 別に今言っていただかなくても結構。これから私が説明します。私が犯してきた罪というのは、どういう偶然か、この七つの大罪が関係しているように思います。こう思い始めたのは最近ですが、やはり潜在的に、無意識下ではそう考えていたのでしょう。そして私にとってこの七つの大罪は、いわば動機段階に過ぎません。犯罪とは、無差別であれなんであれ、精神病でもない限りは、必ず動機が存在します。みんなそれを明かさないだけなのです。ともすれば、自分自身でも、その動機についてきちんと理解していないかもしれません。「ムシャクシャしたのでやった」とはかなりワンパターンであるまたベターな動機の供述ではありますが、突き詰めればもっと詳しい動機が出てくるはずなのです。それをどうして引き出せないのか。警察連中にはほとほと呆れます。まあ、主観ですが。

 私の場合、傲慢があって罪が発生し、色欲があって罪が発生し、と言った感じで、いわば七つの大罪それ自身が私の犯罪目的でありました。暴食だからやった。怠惰だからやった。憤怒したから殺した。そう、殺したのです。私は人を騙し、殺し、脅し、奪いました。ええ、人そのものを奪いました。後に殺しましたが。

 

 始まりは高校時代です。今からおよそ三年前になります。

 私は成績上位者でした。まあこの辺で色々と、このブログの読者との価値観の乖離が見られる頃でしょうか。いえ、別にあなたの学歴を馬鹿にしているわけではありません。学歴が良かろうが悪かろうが、それはあってもなくても同じことです。

 その時まで私は学年二位の成績保持者でした。当然、一位の人間がいるわけです。それはわかりますね? いえ、決して馬鹿にしているわけでは。

 言ってしまえば、そいつが心の底から憎かったのです。

 つまりは「嫉妬」。invidiaであり、envyです。

 もっと言えば、羨ましかった。

 

 

 だから殺しました。

 

 そして、私が一位になったのです。

 

 

 これが始まりです。

 

 

 ごめんなさい、本当は最後の金曜日である25日からこのことは書きたかったんです。

 なぜって、それが本当の本当に、"最後"の金曜日だったから。

 もっと言えば、"最後"土曜日すらも儚く消え去りました。悔やむべきことです。時間がない。

 

 だから続けてもう二日分書くことにします。

 

 これは、嫉妬による犯罪を覚えた私の物語です。