明けてました
こんばんは(少なくともこの文章を打っている時間においては正しい挨拶)、水無月 葉六です。
2018年に突入してからの当ブログ初更新となりますので、少々遅くなりましたが新年のご挨拶をさせていただきます。
新年、あけましておめでとうございます。
今後とも北九州市立大学文芸研究会をよろしくお願いいたします。
自分は先週成人式を迎えました。
成人式に出席したからといってその瞬間から大人に成る、などとは思っていませんでしたし、実際にそんな事はありませんでした。
式が終わったところで始まる前の自分と比べて何か変わったものはありませんでした。
失ったものもありませんし、得たものもありません。
しかし、その日の夜、成人祝いとして貰った金額の合計が今まで手にした事のない金額だと判った時。
何というか、取り返しのつかないようなものを感じました。
たとえその金額の全てを使い果たしたとしてもソレを貰う前の状態には戻れないような何かを感じました。
自分なりに考えてみた結果、ソレは『責任の自覚』なのだという結論が出ました。
もちろん、今までの人生の中で責任が生じなかった訳ではありません。
けれどソレは例えば『クラスや学年の代表としての責任』や『部活動の代表としての責任』、『一生徒としての責任』というものでした。
すると今回の『責任』とは何なのかというと、『【大人】というぼんやりとしたナニカとして生きていく』責任なのだと思うのです。
何故大量のお金を貰った時にソレを感じたのかは分かりません。
私がお金大好きマンだからでしょうか。
たしかにお金は大好きです。
それとも、その金額の裏にある想いを聞いたことに起因しているのでしょうか。
まあ、大人に成ったという責任を感じる場面、そして【大人】という単語に対する認識は人によって違うと思いますが、『成人』『成人式』『成人の日』という言葉自体は『大人に成るという責任感を己の内に生じさせる』事に一役買っているのだなと思いました。
特にオチはありませんがこれにて以上とさせていただきます。
読んでいただきありがとうございました。