爆睡!春眠暁の会!
既に一年の三分の一が終わろうとしているぞ!春のお知らせ!
どうも、鈴木達也です。まだ寒いかと思いきや突然の豪雨が容赦なく来たと思えば今度は雷撃です。堪ったもんじゃないです。春が近いですね。
ところで一週間あとは大学の入学式が始まります。
全国から右も左もわからない学生が狭い大学*1にやってくるでしょう。
大体今までの学生生活のトラウマを乗り越えようと大学デビューに必死なはずです。*2
髪を染めてみたり、SNSを駆使して何かしらアピールしたり。
そんな新入生の中には何かが空回りして他人から見たら”痛々しい”装いや振る舞いをしている人がいると思います。
そういう人たちは本来我らが文芸研究会に来る人とはタイプが違うのですが、傍からみてると面白いのでちょっと調べてみました。
ネットで拾った画像です。そこまで言うかってくらいぼろくそに貶されてますね。個人的にはこういう人をまだ見たことはないのですが、意外にも服にお金を使わない人が結構いるのか?と思いました。
こういう風に周りから痛いと思われてしまう人というのは、大学入学という大きなイベントに少し冷静さを失ってしまっただけなのだと思います。とは言っても痛いことを周りが気づいてそれを指摘しても本人が頑なに否定することがあると思います。
人の生きる価値、人の生きる意味は承認欲求に大きく因るところがあります。
名誉、友情、愛情などなどは人生のなかで重要な意味合いをもちますし、お金も一見物質的に見えますが、それも大勢の人がその価値を認めるからお金は価値を持ちうるのです。
そう、だからデビューに失敗している人たちもただ、ほかの人たちと仲良くしたいだけなのです。いや、もっと直接的に言うならば、自分を表現、もしくは個性を主張したいのです。彼らの行動はごく自然なことなのです。
そんな彼らのことをなぜ私たちは嘲ることができるのでしょうか?妥協し、自分を押し殺しながら環境と同化していく自分たちは。
デビューしなければならないのだ。俺は、どうしようもない俺は。
すぐさま家を飛び出した俺は大学へ駆け出した。大学デビューをするために。
今、自分は本館の最上階にいる。たった今デビューを果たした。
ガラス越しに下を見る。大学は燃えていた。鳴り響くサイレン。集まる野次馬。
そう、俺が燃やした。どんなに痛くたっていい。これが、俺の大学デビューだ。