映画を見ました。吉野武
真夜中1時の帰り道、街灯に照らされた道路には普段そこを通うものが視界のずっと奥まで一切いない、ただ真っすぐと続くだけの道路、そんな光景が僕には人が消えてから初めての世界の夜のように見えました。道路の中央線の上を自転車で走って帰りました。
どうも、吉野武です。折角の三連休だったので昨日の午後六時から映画を三本見ました。いきなりの連絡によくぞ集まってくれた後輩たちと三本続けて映画を見ていたら日付が変わっていた、というわけです、上のくだりは。ブログを少しでも盛り上げようという意図で、見た映画について投稿させていただきます。
まず、「ムカデ人間」を見ました。人間をムカデのように繋げてしまおう!口と肛門で、という衝撃たっぷりなドSM映画で、主人公ハイター博士の日本語吹き替えを若本規夫さんが演じていらっしゃったので、迷わず吹き替えの方で視聴したのですが、ハイター博士が活き活きとしていらっしゃる。ムカデ人間が完成した時の「やったぁ!やったぁ!」と喜びの言葉を連呼する様は頬のこけた俳優さんの演技と若本さんの声が重なって、怖いというよりも楽しそうに見えました。一方、ムカデ人間にされた方々は唇を丸く、肛門の括約筋も丸く切り取られ、その二つの接合のために頬の皮の代わりに前者の臀部の皮を顔に縫合されて、内臓直結、先頭の人間の消化物を二番目の人はウサギの真似事のようにさせられてしまうのです。ムカデ人間の一番の衝撃はそこにあります。きたない。しかし、映画ではハイター博士のサディストぶりを表現することに重きを置いていたので、ムカデ人間の食事とそれ以降の生理的な場面は一度だけでした。二度もなくていいですが……。「ムカデ人間」という映画は発想が衝撃的な、それだけの映画で、「ムカデ人間2」「ムカデ人間3」と世界観を別々にして続くそうですが、僕はもういいかなぁと思っています。増やせばいいってもんじゃねえぞ!
次に「八つ墓村」(1977年)を見ました。村人虐殺の場面、桜吹雪の背景の中、ドンデドンデドデドンデドンデドデと始まる疾走感と不穏吹き出す曲と共に抜き身の刀を片手に頭のライトを照らして走ってくる多治見要蔵はカッコよく、森美也子が寺田辰弥を八つ墓村へ連れてきた場面、美也子のスカートが風に煽られて起こるチラリズムがセクシーで、金田一京助は真相を暴くだけで事件を食い止めようとしていない、早く助けてコナンくん!ところで「八つ墓村」の舞台は岡山の県北にある農村になるのですが、この映画の怖い所は祟りもそうなのですが、田舎の村社会の風習だとか人間だとか土地?(鍾乳洞)だとかが、都会から連れてこられた青年に襲いかかってくるのも怖い所だと思います。村の名家の跡取り問題とか「八つ墓明神の祟りなんじゃあ!」と叫ぶお婆さんとか鍾乳洞の暗さと狭さとか。その一方で、金田一京助は和歌山に行ったり京都に行ったり、葬式直後に死体押収させたり、自由に事件の調査しているなぁ、とも思いました。あっという間の二時間半というわけではなかったですが、面白い映画でした。ドンデドンデドデ♪
そして、最後に「海がきこえる」を見ました。私の好きなスタジオジブリの作品ですが、ジブリの作品の中ではマイナーで、金曜ロードショーにはジブリと言われる昨今ですが、この作品はもう地上波で放送されることはないと思われます。何故なら、高校生の飲酒の場面があるからです。ひと昔前の高校生の物語ですから、今の感覚とは違うところもありますが、見て面白い作品だと思います。当時のスタジオジブリの若手スタッフが制作して、駿監督の怒りを買ってしまい、その後、駿監督は「耳をすませば」を制作したと言われています。氷室冴子が原作であり、その原作は我らが大学の図書館に所蔵されています。ただし、北書庫だ!原作には続編もある!因みにあらすじ(アニメ版)は「高知の進学校から東京の大学に入学した杜崎拓は、東京都武蔵野市の吉祥寺駅のホームで武藤里伽子に似た女性を見かける。その後、はじめての夏休みに同窓会のために故郷・高知へと帰省する道中、拓はその高校時代を思い起こす。季節外れに東京から転校して来た里伽子との出会い、ハワイへの修学旅行、里伽子と2人だけの東京旅行、親友と喧嘩別れした文化祭。ほろ苦い記憶をたどりながら、拓は里伽子の存在を振り返っていく」です。(wikiより)
以上、昨日見た映画についてでした。次は是非とも戦争映画、できるなら「パトリオット」と「ウィンター・ウォー」を見たいですね。もちろんホラーもジブリも新しいものを見るつもりです。まぁ、近所のアスコにはそれらがないんですけどね、アスコには……。
もうとっくに朝になって僕のモチベーションも下がってきたので、今日はこれぐらいにしておきます。ではまた。
彩らる紋の家
清涼院流水という作家に私が魅せられたのは大学時代で、まあ勢い余ってコズミックとジョーカーの文庫版を「清涼in流水」読みで読破しましたが、今ひとつよくわからなかった。よくわからなかったものの、その文章の凄みを見ました。その凄みにさらに魅せられて今に至るわけでして、「彩紋家事件」もその一つの要因となっている次第。
さて、彩紋家事件というのは私が常日頃から紹介しているJDCシリーズの作品です。時系列としては、ジョーカーよりもさらに前。作中に登場する日本探偵倶楽部の誕生秘話といったところでしょうか。個性的な探偵たちも出てきます。今回の主人公は、記憶喪失を患い、人生の再スタートを果たした螽斯太郎と、後に日本探偵倶楽部総代となる鴉城蒼司。
私が読んだのは文庫版でした。分冊で全3巻。
ちなみにノベルス版だと上下巻で
「極上マジックサーカス」
「下克上マスターピース」
と、このように綺麗なタイトルがあります。
さて。
今回も相変わらず問題作(褒め言葉)でした。
コズミックでは1200の密室で1200人殺されました。
ジョーカーではミステリの十戒と二十則をすべて文字通り網羅しました。
今回は、毎月19日に人が死にます。
それが19ヶ月続きます。
で、その様子が描写されながらも、前半の大部分は「奇術サーカス」の描写でした。
それも、二回。
全3巻のうち、1巻は全て奇術サーカスで埋まり、2巻の途中まで続きました。
そうしてようやく、お話そのものが前進するのです。
奇術サーカスを営む彩紋家、九十九家、冬扇家の三家が鍵となり被害者となります。
おなじみ、JDCシリーズの顔とも言えるような、言葉の魔術師(ワーディシャン)こと龍宮城之介と、探偵神九十九十九。どちらも幼少の姿として登場します。十九に関しては、もうこの頃から探偵としての神技を見せています。鴉城蒼司と九十九十九の協力によって、この事件は解決したようなものですし。
……いや、解決というのもいささか違うような。コズミックにも書かれていたように、彼はその彩紋家事件での生き残りです。つまり、先に述べた御三家はほとんど死にます。
タイトルにもある彩紋家事件ですが、3巻の終盤になって急展開が発生。「彩紋家事件はまだ始まってすらいない」とまで。色々と言葉遊びが仕掛けられ、それが彩紋家自体の構造に直結したりしていて、ある意味、読んでて楽しかった側面はあります。
ありますが、トリックが解明されたわけではなく……そっちの方面で読んでいた人にしてみれば、この作品はかなり大失敗だったかもしれません。毎月19日に人が死に、19ヶ月続いたかと思えば、それがもう一周するのですからたまったもんじゃありません。彩紋家事件と彩紋家殺人事件を区別することから、彩紋家事件自体は殺人ではないとまで。構造としてはかなり無茶苦茶をやっています。これぞ流水大説って感じ。
さらに私は失敗を犯しました。
実際のところ、刊行順で言いうとこの「彩紋家事件」、「カーニバル」の後でして。
多少のネタバレもありました。物語最後にて一気に時間が進み、カーニバルの後のお話が描かれていて、「やってしまった」といった感じです。「カーニバル」は3作目。「彩紋家事件」は4作目です。これの経緯については、文庫版「彩紋家事件」3巻の末尾付録である「「彩紋家」についての事件」にて詳しく書かれているため割愛します。
まあ結局、私に残されたJDCシリーズは「カーニバル」のみですね。
今のところ清涼院流水御大が言及している「双子連続消去事件」について音沙汰無しなのが気になってしょうがない。TOEICにご執心らしく、JDCの未来やいかに!?
といった感じですね。
だいぶ前に読了した分なので、かなり記憶が薄れている。
Twitterもちょくちょく呟くことになるかもしれませんので、その時はよろしくおねがいします。
それでは。
網
こんにちは。或爺です。
ただいま、明日の「破天荒 瞬花祭特集号」の印刷に向かって作業をしていたところであります。
今号にも様々なタイプの才能が溢れていて、編集作業をしていてとても幸せです。
ところで近頃、空気の匂いが変わってきたように思います。小学生の頃の「もうすぐ夏休みだ」という気分を非常に刺激する匂いがします。緑色の虫カゴが欲しいです。青いアミはどこですか。
あ、ありましたありました。青い虫取り網が玄関の傘立てに挿してあります。靴棚の上にプラスチックの虫カゴも置いてあります。
「どこ行くの」
「タコ公園」
「あんまり遅く帰ったらいけんよ」
「わかった」
「よう」
「おう」
「今日なんかカード持ってきた?」
「いま、ケンとヒロくんとレアカード交換しよるんよ」
「今日カード持ってきてない」
「じゃあいいや」
「今度キラキラのやつちょうだいよ」
「やだよ」
「今から何するん?」
「この石垣の上登ってみらん? なんか、この前ショウ兄ちゃんたちも登ったんやって。野イチゴとか生えとったって言っとった」
「でもここすごい草生えとるし、茂みの中をくぐるしかないやん、変な虫とかおらん? 気持ち悪い」
「みんな登っとるき大丈夫っちゃ」
「たしかに木の実は生えとるけど、これ野イチゴやないんやない? 赤いだけで」
「すごい静かやな、でっかい家がいっぱいあるけど、全然人がおらん」
「あ、人おるやん」
「どこ?」
「あの窓んとこ、おじさんおるやん」
「どこ?」
「あ、ほんとや」
「こっち見とる」
「お前、指さすなよ」
「帰りも茂みしか通るとこないんやな」
「お前、茂みの中滑るだけですごい怖がっとったな」
「別に怖がってないし」
「石垣の上、別に面白いことなんもなかったな」
「ぼろい家が建っとるだけやったな」
「あ、ブランコ空いとるよ、乗ろうや」
「オレ空見ながら漕げるし」
「おれ一回転できたことあるよ」
「俺手放しでこげる」
「なんかさ、入口のほうに人おらん?」
「金網んとこ?」
「なんか見られてない?」
「どこ?」
「あ、ほんとや」
「こっち見とる」
僕たちががうるさくしよったけん怒ったんかなあ。
一先ずの文フリ(仮)
こんばんは、赤沙汰です。
本格的にブログの更新が始まり、各部員の方々も更新してくださっているようで何よりです。
ほぼ一ヶ月近く更新していないので、その期間中に結構読了した本があります。
それらもツイートしていく次第。
文学フリマ福岡の第二回が開催ということで、今月11日に出店受付が開始しました。
北九大文芸研として、今回も出店する予定です。当落通知が来てからの正式決定となりますので、あまり声を大にして言うことはできませんがね。
まあ、そういうわけで、明確に期限が設けられました。
期限。
つまり、個人誌『破天紅』の発行期限でございます。
目次まで行きました。ページ配分も決まりました。
あとは、奥付・後書き・加筆修正です。
ページのデザインも少し残ってます。できるだけ商業出版での文庫本みたいな装丁でいこうと考えていてはいます。なので、部誌『破天荒』や『北九州文学』よりも少し複雑な作りになります。編集は大変です。
ええ、そりゃもう。
■
どーも皆さん、松尾です。
梅雨の季節になると一度くらいは雨で濡れ濡れスケスケの制服JKとバス停で遭遇したいですよね。まぁ、そんなこと現実ではあり得ません。やっぱりリアルはクソゲーだな!!ペッ,( ゜Д ゜)
そんなことよりも明日は学生大会ですよ。スマホの充電と小説の準備はいいですか?一二限でスマホを弄るのはほどほどにしておくのをオススメします。やることなくなると悲惨ですからね。できればスマホにwordアプリを入れて学生大会中に瞬花祭用の作品を書いておくのが文芸研的にベストでしょう。まだ時間あると思って余裕ぶっこいてると〆切前夜に四苦八苦することになりますよ(経験談)!!
他の大学はどうなのか知りませんが北九州市立の学生大会の風景はなかなか滑稽です。イギリス人がそこにいたらジョークのネタには事欠かないでしょう。そんな訳で今日は世界の国の国民性を皮肉った有名なジョークを紹介します。
<船から飛び降りさせる言葉>
豪華客船が沈没して、多国籍の人々が、救命ボートに乗りました。
しかし定員オーバーで、男の人たちに降りてもらわないと沈んでしまいます。
そこで、人々は
アメリカ人に対しては、
「あなたはここでヒーローになれる」
と言いました、アメリカ人は、ガッツポーズをして海に飛び込みました。
次にイギリス人に対して
「あなたは紳士だ」
と言いました、イギリス人は、うなずいて海に飛び込みました。
ドイツ人に対しては
「あなたは、飛び込まなくてはならない、それがルールだ」
と言いました、ドイツ人は納得して海に飛び込みました。
日本人に対しては
「あなた、飛び込まなくていいんですか?ほかの男の人は、みんな飛び込みましたよ」
と言われました、すると日本人は、左右を見渡すと慌てて海に飛び込みました
中国人に対しては
「海に美味しそうな魚がいっぱい泳いでますよ」
と言いました、中国人は、上着を脱いで網代わりにして海に飛び込みました。
簡素な解説:
アメリカ人=ヒーロー大好き。
イギリス人=紳士と言われて黙っていられない。
ドイツ人=規則正しくクソ真面目。
日本人=所謂右にならえ精神。
中国人=グルメ魂。
これはあくまで各国のステレオタイプを扱ったものですが言い得て妙だとは思いませんか?
他にも色々あるので暇なときに探すとなかなか面白いですよ。と言った感じで今日はここまで。ではまた。
6月になりました。
どーも皆さん。松尾です。ゲーム脳です。
早いものでもう6月になりました。6月ですよ、6月。春から夏になり、温かい陽気は梅雨になってジメジメし始めて、色々あった艦これのイベントも終わりました。いいことないですね。
ところで梅雨は好きですか?自分は嫌いです。良い思い出ないです。敢えて言うならこの季節は足の皮がベロンベロン剥がれて面白いのとあじさいが綺麗なくらいですかね。
個人的に6月とはあじさいの独壇場だと思います。雨の滴る中で咲くあじさいの美しさは語らずとも判るでしょう。
あじさいを漢字で書くと「紫陽花」になるのですが、これはかの中宮定子が梅雨に長い間雨雲に隠れて見えない太陽を恋しがる歌を歌ったところ、返しに清少納言が庭先に生えていたあじさいを指して「例え天に輝く太陽が見えずともすぐそこに美しい紫色の太陽があるではないか。」といった旨の歌を歌ったことから「紫陽花」と書かれるようになったそうです。
嘘です。今さっき適当に思い付きました。本当のことは知りません。知りたい人は各自でググってください。
まぁ、そんな感じであじさい無しでは嫌いな月ワーストランキングで殿堂入りしかねないくらい6月ですが今月も頑張っていきましょう。いつまでも五月病を引きずってちゃ駄目だぞ!!
ところで瞬花祭特集号の〆切まで二週間切ったらしいですよ。頑張れ一年。