北九州市立大学文芸研究会のブログ

北九州市立大学文芸研究会の「新」ブログです。移行したのです。旧ブログはこちら→ http://blogs.yahoo.co.jp/bungeiken8105

夏、到来

どうも、水無月葉六です。

『二年生になったなー』なんて思っていたら、『期末試験』の四文字が脳裏をちらつく季節になりやがっていました。

試験の事なんて今考えても仕方がないので、ここ数ヶ月の事を振り返ろうと思います。

沢山の新入生たちが、この文芸研究会へと入ってくれました。

中には、自分なんかよりもよほど文芸に対する知識や熱意を持っている一年生の方々もいて、『もう僕は引退しても構わないんじゃないか?』と考えています。

『最近読んだ小説は?(この場合は市販のモノ)』と聞かれても、最近(一年前)読んだ小説しか答える事が出来ない葉六さんはガクガクに震え上がっている状態です。

そして、『破天荒 瞬花祭特集号2017』では編集作業を担当させていただきましたが、一年生の原稿のクオリティに脱帽しました。

もちろん、同級生や先輩方の原稿も素晴らしく、いち早く読める自分は幸せ者だとも思いました。

その分、完成した『破天荒』を読んで気づいた自分の編集ミスのショックも大きかったので、今後は更に気をつけて編集作業に精進したいです……

……ところで最近、自分の中で『破天荒』をweb公開する事は出来ないのかなーという疑問が生じています。

編集作業をする中で、『もっと多くの方々に読んでほしい』と、ふと思ったので、しれっとここに書いておきます。

これは文芸研の活動とは関係が無いのですが、最近はイラストを描く事にもハマっています。

最近はスマホと指だけで絵を描けるようになったので、『凄い時代になったもんだ』と感激しました。

ちょっとした諸事情で、肌色を塗ったつもりが他の方には緑色に見えていた……という悲惨な出来事もあったので、イラストを描く事についても更に精進したいなーと思っています。

と、一通り振り返ってみたので、タイトルについて触れますが、

最近になって、一気に夏が来た気がします。

今日(7/9)の夕方頃に、出先で通り雨に遭ったのですが、暑さと湿り気が合わさって地獄と化していたので更にそれを痛感しました。

水分補給、塩分補給は欠かさないようにこの夏を乗り切りたいですね。

あ、それと、日焼け止めも適度に使用すると良いかもしれません。

以上、信じられないくらい日焼けしたせいで、一時期風呂に入るのが嫌になっていた水無月葉六でした。

読んでいただき、ありがとうございます。

時代は変わる

 どうも、ご無沙汰です。色無垢です。ブログはおろか原稿すら書いていないぐうたら人間になってしまってるので、いい加減行動しなければと思っております。

 唐突ではありますが、チャック・ベリーという方をご存知でしょうか?ロックンロールの創成期において活躍し、ビートルズなど後世のアーティストに多大な影響を与えました。90歳を迎えてもなおステージに立つパワフルな方でしたが、先日お亡くなりになりました……。

 私はそのニュースを知ったときこう思いました。

「ああ、一つの時代が終わってしまった」と。

 世代交代、ってことでしょうか。何かが生まれるたびに何かが失われる。音楽に限らないことではありますが、自分としては大きな砂時計がひっくり返ったような衝撃です。それだけ彼の残した音楽、ロックというのは非常に大きい存在だと思います。

 それは我が文芸研も他人事ではありません。先輩方が卒業し、あるはずの物語が消えていってるというのは悲しいものです。しかし、新たに生まれるのです。

 つまり、そう、新入生がやってきます!

 どれだけ入ってくれるのか少々不安ではありますが、大学生になったばかりの可能性のある彼らの物語に出会うことが出来るのです。そしてめでたくも昨日一人入部者が誕生いたしました!

 時代は変わるのです。前に、前に。

 私の原稿も進歩していけたらな……。

沈黙!春眠暁の会!

どうも、鈴木達也です。前回は大学デビューについて書きましたが、今回はサークル選びについて書こうと思います。

 

大学入りたてぴかぴかの新入生を待ち受けているのはサークルの構成員とさせるべく繰り出しているサークルの勧誘員です。

目をぎらぎらさせて新入生を睨みつけ、隙あらばビラを押し付ける・・・ あるところは囲い込みをして逃げられなくする・・・あるところは甘いことを言って釣り上げる・・・なんだか世も末な感じがします。結局彼らは自分たちの仲間になってくれる期待があるからこんなことをしているのです。4月の初めの数週間はどこのサークルもパーティやら歓迎会やらを催して獲物をおびき寄せます。

一度新入生がそこに居心地のよさを感じてしまったらもう彼らの思うツボです。

その後はすぐさまサークルの一員です。新入生はそのサークルに関わらずにいることができません。

しかし、新歓の時期が終わったあと、あれだけ熱心に勧誘し、ビラを渡してきた人たちが新入生に見向きもしません。これは一体どういうことでしょうか?

彼らにとっての新入生の価値とは、自分のサークルに入り貢献してくれる後輩、いわば一種の資源としての存在でしかないのです。さらに極端に言ってしまえば、彼らにとって、入ってくれる人は別に誰でもいいのです。あなただから勧誘した訳ではなくて、勧誘した人がたまたまあなたであったというだけのことです。あなたである必然性は何処にもありません。

しかし、大抵の人はそのことに気づかず、サークルの中でのなれ合いで鈍感になっていきます。何故ならそのほうが楽しいからです。いちいちつまらないことを気にしないで

もっと遊ぼうよ。彼らは言います。

それでいいのでしょうか? 前回私は人の生きる意味というのは他人からの評価で決まると書きました。それだからこそ、人が堕落する原因にもなるのです。例えばガリレオの例を引き合いにだすならば、今でこそ彼は名高い科学者ですが、彼が生きていた当時のヨーロッパではキリスト教の規律が厳しく彼は軟禁されてしまいます。

このように人の一生はまわりの人間によって左右されます。

サークルだって例外ではありません。サークルの中で恋人ができ、そのまま結婚するかもしれませんし、仕事が決まったりして将来が決まるかもしれません。

ですから、ここで言いたいことは、サークル選びは慎重にするべきなのです。活動内容、雰囲気、あらゆることを判断材料にして自分にあったサークルに入るのがよいと思います。

なぜなら、今の俺は何もかもを無くしてしまったから。

かけがえのない仲間、思い出、恋人・・・全てこの手で殺めてしまった。

今大学は燃えている・・・全てを清算するために。

これが俺の答えだ。

 

爆睡!春眠暁の会!

   既に一年の三分の一が終わろうとしているぞ!春のお知らせ!

 どうも、鈴木達也です。まだ寒いかと思いきや突然の豪雨が容赦なく来たと思えば今度は雷撃です。堪ったもんじゃないです。春が近いですね。

 

ところで一週間あとは大学の入学式が始まります。

全国から右も左もわからない学生が狭い大学*1にやってくるでしょう。

大体今までの学生生活のトラウマを乗り越えようと大学デビューに必死なはずです*2

髪を染めてみたり、SNSを駆使して何かしらアピールしたり。

そんな新入生の中には何かが空回りして他人から見たら”痛々しい”装いや振る舞いをしている人がいると思います。

そういう人たちは本来我らが文芸研究会に来る人とはタイプが違うのですが、傍からみてると面白いのでちょっと調べてみました。

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ネットで拾った画像です。そこまで言うかってくらいぼろくそに貶されてますね。個人的にはこういう人をまだ見たことはないのですが、意外にも服にお金を使わない人が結構いるのか?と思いました。

 

こういう風に周りから痛いと思われてしまう人というのは、大学入学という大きなイベントに少し冷静さを失ってしまっただけなのだと思います。とは言っても痛いことを周りが気づいてそれを指摘しても本人が頑なに否定することがあると思います。

人の生きる価値、人の生きる意味は承認欲求に大きく因るところがあります。

名誉、友情、愛情などなどは人生のなかで重要な意味合いをもちますし、お金も一見物質的に見えますが、それも大勢の人がその価値を認めるからお金は価値を持ちうるのです。

そう、だからデビューに失敗している人たちもただ、ほかの人たちと仲良くしたいだけなのです。いや、もっと直接的に言うならば、自分を表現、もしくは個性を主張したいのです。彼らの行動はごく自然なことなのです。

そんな彼らのことをなぜ私たちは嘲ることができるのでしょうか?妥協し、自分を押し殺しながら環境と同化していく自分たちは。

デビューしなければならないのだ。俺は、どうしようもない俺は。

すぐさま家を飛び出した俺は大学へ駆け出した。大学デビューをするために。

今、自分は本館の最上階にいる。たった今デビューを果たした。

ガラス越しに下を見る。大学は燃えていた。鳴り響くサイレン。集まる野次馬。

そう、俺が燃やした。どんなに痛くたっていい。これが、俺の大学デビューだ。

 

*1:公立大学で二番目に小さい

*2:大学デビューって表現面白いですよね。結局大学なんて所詮サロンなのかもしれません。

イベントにかこつけて

どうも、フクロウです。

バレンタインデーにはチョコを、ホワイトデーにはクッキーを作りました。もちろん友達やお世話になっている人にもあげましたが、結構な数を自分で食しました。

基本的におかしが好きなので、イベントにかこつけて沢山作って、自分が食べたいだけであるということに気付きました。

まぁ、それで幸せを感じてくれる人もいることですし、良しとしましょう。

さて、次は何を作りましょうか。

メリークリスマス

はじめまして。今週のブログ当番、一年生の水無月 葉六(みなづき はろく)です。

 

二十四日の夜御飯はローストチキンにフライドチキン、ステーキでした。いやはや、クリスマスというのは良いイベントですね。週に一、二回あってもいいくらいです。

 

そうそう、クリスマスといえば『何をして過ごすか』『誰と過ごすか』などとよく話題にあがりますが、皆さんはクリスマスを誰と何をしてお過ごしでしょうか?

かくいう僕は、パソコンちゃんと向かい合ってずっと文字を入力しています。

実家生なので特に寂しくはないです。ええ。

脳内で機具を美少女化する能力を持っているので永遠にこのままでも平気です。

 

まあ、クリスマスの話題はこの辺にしておきます。

 

話は変わりますが、はてなブログ、とても懐かしいです。

中学生の頃はここで小説を書いていました。

『知人にバレて体育の授業中に自分の作品の台詞を耳元で囁かれる』という忌々しい想い出しかありませんが。

その時期は中二病の真っ最中でしたので与えられたダメージは大きかったです。

何でわざわざ人が書いた小説の台詞を覚えてそれを筆者の耳元で囁くんだ……

このような出来事が起こり一度小説から離れた僕ですが、なんだかんだあって未だに小説を書き続けてます。

続けるということは、積み重ねるという事です。

書き続けるという事は自分の足下に数多の作品を積んでいくという事です。

この下に積まれた作品たちを『誇らしい』と思うか『恥ずかしい』と思うかは人によりけりだと思うのですが、僕は圧倒的に後者です。

いえ、作品を書くこと自体は何も恥ずかしい事ではないですし、それらがあるからこそ現在の僕が在るのですが、積み上げてきた作品の下を見れば見る程その内容に赤面してしまうのです。

例えば、キーボードで『つづく』と打てなくて『つずく』とゴリ押しをした小学生時代の小説。

例えば、陸空と書いて『りくう』と読む名前の主人公が出てくる中学生時代の小説。

これらの小説は今も広いネット上を漂っているのですが、わざわざ探さずともたまに自分の脳内に直接攻撃してきます。

たまに思い出して「うわあぁぁぁぁ……」ってなるアレです。

おそらく僕はこの先の人生もソレに襲われながら生きていくのでしょう。

 

一応過去の自分に対してのフォローをいれておくと、過去作を現在の僕が読み直したときの感想は大体「おお、結構笑えるやんけ……細かく見るとなんやこれ」です。

経験を積んだ事により、細かい文章表現や会話の展開などを見ると首を傾けてしまうような点が多々見受けられるのですが、大まかな話自体は自分が楽しめる話になっています。

筆者だけしか楽しむことの出来ない小説は褒められたものではないのでしょうが、誰も楽しめないと思われる小説よりは、最低一人(自分)は楽しめていると確信できる小説を書きたい。

きっと現在の僕の作品も、未来の僕から見れば稚拙なモノなのかもしれませんが、『読んでいて楽しい』と、そう思われるような小説を書きたい。

そのような思いで僕は小説を書き続けています。

 

……最近は締め切り当日に慌てて書いてとってつけたようなオチをつけるマンと化していますが。

いつかはリメイク作品と新規作品で個人誌を出したいですね。

 

気がつけば割と書いていましたが、この辺で終わらせていただきます。

 

『【悲報】弟が最近淫夢動画にハマりだした』など、まだまだ書きたい事もあるので、もしかすると今週中に何度かブログを更新するかもしれません。

そのときはよろしくお願いします。

 

それでは。

アムリタ2 -死なない仮面の女とパーフェクトな小説家-

 お久しぶりです。赤沙汰です。

 

「これまでにない小説体験!」という文句の評価を、私はこれまで2回ほど見てきました。

 1回目は、おなじみ清涼院流水による『コズミック』『ジョーカー』の変則的順序による、いわゆる”清涼in流水”読み。

 そして2回目が、野﨑まどによるデビュー作『[映]アムリタ』から『2』までの6連作です。

 前者は著者本人による豪語、後者は読了した数人がそのように述べておりました。

 

 流水大説に関してはもうかなり言及したような気はしますが、意外にもその2作についてはまだだったようです。まあ機会があれば、ということで。

 昨夜まで『2』を読んでいたところです。

 講談社タイガから刊行されていたバビロンシリーズを読んでから、この6連作の存在も知ったのですが、まあ最初に言った「未知なる読書体験」みたいな評価に惹かれてしまったもので。私はどうも、そういうプロット的なカラクリや文体、装丁などのカラクリに惹かれてしまうようです。

 

 ①[映]アムリタはメディアワークス文庫賞受賞のデビュー作。

 二見遭一は、天才・最原最早による絵コンテを二日間以上も読み続けてしまったことで、映画を作る彼女の才能に惹かれていく

 

 ②舞面真面と仮面の女

 舞面真面は、曽祖父・舞面彼面による遺言の謎の解明に挑む際、仮面を付けた不思議な少女に出会う

 

 ③死なない生徒殺人事件 ~識別組子とさまよえる不死~

 伊藤先生が着任した藤凰学院には、「永遠の命を守った生徒」がいるという噂があった。しかし自らをそのように名乗る女生徒は、ある日何者かによって殺害されてしまう

 

 ④小説家の作り方

 小説家・物実のもとに「小説の書き方を教えてほしい」というファンレターが届く

 

 ⑤パーフェクトフレンド

 小学校四年生の理桜は、不登校の天才少女・さなかの家を訪ねることになる。そしてさなかは「友達」に興味を抱く

 

 ⑥2

 数多一人が入団した超劇団・パンドラは、ある人物の出現によって解散してしまう。その人物は一人に対して、ある映画への出演依頼を持ちかける

 

 ざっと6連作のあらすじです。文字色を白にした理由は後述します。

『2』に対する形で、先の5作は実質的に『1』です。

 この「読書体験」という言葉の振れ幅が非常に難しくて、何と説明すればいいのやら。

 

 ネタバレを含むので文字色を一部白にしています。

 PCの貴方は文章を選択して文字色を反転させてください。

 スマホの貴方は、申し訳ありません、面倒ですがこの文章を全選択してメモ帳アプリなどにコピー&ペーストすれば見ることができるかもしれません。 

 

 言うなれば『2』は、「先の5作での要素・登場人物が全て登場する」というものであり、そういう意味では、「様々な作家における「世界観・作品間リンク」」と同じようなものです。ただ、『[映]アムリタ』~『2』は、そういったものとは若干、異質なものです。最原最早の天才ぶり、鬼畜ぶり、人間離れっぷりを、この『2』において楽しむものです。早い話が、『[映]アムリタ2』なのです。

前5作のその先の話」として『2』は描かれているので、実質的に「舞面真面と仮面の女2』であり、『死なない生徒殺人事件2』であり、『小説家の作り方2』であり、『パーフェクトフレンド2」です。そういう意味合いを含んでいるために、野﨑まど6連作においては刊行順通りに読むことが求められているわけです。

 

 6連作を通して、「人間・創作・愛」について語られます。その「三要素全ての究極形態として最原最早が存在」しています。現実的な話ではなく、全ての作品にSF要素がある。ごく僅かではありますが。

 あと、彼女の映画や彼女の演技、さなかが導き出した友人定数の詳細な式、紫依代の小説、三角形と四角形の間の図形、四角形と五角形の間の図形などなど、そういった不思議な存在の詳しいメカニズムは書いていません。ただ単に、その映画、絵コンテを見た二見遭一の反応、「愛してる」と言う彼女の演技を見た数多一人の反応、紫依代の小説は……結局物実は読んでませんが、図形を見た伊藤先生の反応などなど、そういったものが代わりに描かれて、この世に存在できない現象や概念が描写されています。

 言ってしまえば、それは伊藤計劃虐殺器官』における虐殺の文法のようなものであり、「そういう代物のメカニズム」を中心に描いているわけではなく、そういった「不思議な代物に対する周囲及び主人公の反応」を中心的に描いているのです。「虐殺の文法」は虐殺を呼び起こしました。そして「最原最早の映画」は、人格の改変をもたらします。人格の改変というか。上書きと言ったほうがいいのかもしれません。

 

 彼女が目指す究極の映画。そして「2」の意味

 これまで5作の物語を、彼女は一人で翻弄します

 彼女にとっての映画とは、人の心を動かすという意味での「感動」の正しい解答に辿り着くための手段でもありました。同時に、自らの子を神様に仕立て上げるための手段であり、「天使と神様による最究極映画」を作るための目的の一端でしかなかった。彼女自身は天才なので、既に人間・創作・愛に関する「感動」への解答に辿り着いています。その上での彼女の野心がある。これまでの5作は、彼女にとっての一手段でしかなかった。不死の少女や仮面の女すらも、彼女の前にはひれ伏すしかなかった。人間である「はず」の彼女の恐ろしさはそこにあるのです

 

 まさしく「『2』のために書かれた5作」という表現が当てはまります。ピッタリと。それほど、全作品とも重要な立ち位置を成しているのです。

 

 読みやすさは抜群。「その先を知りたい」という思いが少しでもあれば、自然と6連作読み終わってしまうのではないかと。ページの残り具合で今後の展開を予想する人間とっては、まあうってつけの作品群ではないでしょうか。

 6作揃えてから読むのもいいです。読むたびに手に入れるのもいいです。ただ、『パーフェクトフレンド』と『2』はあらかじめ2作同時に手に入れておくのがいいかもしれません、『パーフェクトフレンド』読了後にすぐ『2』を読むのがわかりやすいかも。

 個人的には裏表紙の詳細な粗筋を読まずにいきなり読むのもまた一興(上記に書いている粗筋よりは詳細に書いています。文字色を白にしたのはそのためです)。

 文章の遊び具合にも注目ですね、あとそれぞれの登場人物のネーミングも面白いです。掛け合いも面白い全作品に渡って、漫才のようなコメディシーンがあります。それがあるからこそ、シリアスなシーンにおいて、一層緊迫感が増し、物語の脅威が増幅する仕掛けなのだと思います。

 

 そういうわけで以上です。

 

 2ヶ月ぶりのブログ更新となりました。

 今後は気をつけたいところですね。